大町にあります「塩の道 ちょうじや」の建物は、庄屋をしていた旧平林家の建物を利用しています。
塩の販売で長者になったのかなとのんきに考えていましたが、丁子屋というのは日本に昔からある屋号(商号)の一つでここは昔ちょうじやと呼ばれていたそうです。

明治22年の大火で焼失しましたが、明治23年に再建されました。

旧字体の鹽の字の灯は、塩問屋をしていたころの名残です。
江戸時代前期は麻を扱い、後期には塩を扱っておりその後は、みそやしょうゆを製造していました。

中に入りますと奥行きがあり、広々としています。右手の奥2階には広い間取りではありませんが、女中さんの部屋もあります。

当時の塩問屋の風景はこんな感じだったのではないかというジオラマがあります。
大町駅構内に展示されています「さらさら越えした大姥さま」と同じ作者のもんぺの会 紙粘土人形作家の松本武子さんの作品です。

塩問屋の帳場を再現したものです。大きなそろばんですね。

2階に上がる階段の下には箪笥があります。左手にはカクヒラの家印の提灯が見えます。
2階は塩の道で活躍した歩荷や塩の道の資料が展示されています。

2階の風景。たくさん展示されはいませんが、流通の仕組みが分かるように展示されています。

初めてこの博物館を見学させていただいた時、この塩を背負った歩荷の姿を見てもピンときませんでしたが今は分かります。
ここでは60キロを背負っていたとあり、小谷の牛方宿では37キロだと、糸魚川の塩の道博物館では50キロくらいと説明を受けまして、大体40キロから60キロぐらいの幅があったようです。
これで冬の厳しい寒さの中、高低差のある山道を5人ほどのチームを組んで運んで行ったということです。
ここの博物館のいいところは、解説文書が丁寧に作られていますので分りやすいということです。

十辺舎一九が出てきたり、頼山陽が出てきたりします。義塩について頼山陽が『日本外史』に書いたのがはじまりいうことです。

七夕の人形が展示されています。



「塩の道 ちょうじや」が文部科学省の国登録有形文化財に登録されていますのでこの地方の登録有形文化財の展示も行われています。常設展のような形です。
日本の秘湯だといわれています小谷温泉山田旅館の紹介もされています。
山の頂上近くにあってひなびた温泉場で紅葉の季節は絶景です。

別棟には、しょうゆやみそ、漬物樽など当時使われていた道具類が展示されています。
塩の貯蔵庫もあってにがりを貯めることのできる構造になっています。
塩の道 ちょうじや開館情報
住所 | 〒398-0002 長野県大町市大町八日町2572 |
お問合せ | 0261-22-4018 |
開館時間 | 9 : 00 ~ 16 : 00 |
定休日 | 水曜日(不定期の休みあり) |
サイト | 塩の道ちょうじや |
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